top of page




七五三

楠正成公ゆかりの地
河内長野の鎮守の宮
to About
由 緒
創建の年月は不詳であるが、南北朝時代においては南方諸将の崇敬が篤かった。
楠正成公の河内七城の一として、元弘の昔、金胎寺城を構築した時
その鎮守として篤く信じ、その子正儀は天野山の行在所において後村上天皇を守護する時
当社に祈願をこめて国家の安全と武運長久を念じ、天皇も深く尊信せられ
吉野行幸の砌当社に御駐輦あらせられた。
江戸時代天和2年8月本多伊予守忠恒は、この地方領して陣営を置き
その子忠統は、父の遺領を継承して、当社を信仰し
正徳年中には神輿、矛、手洗鉢等々の寄進があった。
同正徳5年10月宗源の宣旨を以て、正一位の神位を授けられ
その後西代大明神と称し、明治の初め社号を西代神社と改める。
明治41年に浦野神社・西山神社・菅原神社が合祀された。

to Services